【MARS160現地レポート・10/30】
30日目。それぞれの国の言葉でのレポート。
僕ら7人はいま(模擬)有人火星ミッションのクルーとしてMDRS火星基地に滞在している。世界中の様々な国から集まった僕らは、良きにつけ悪しきにつけ、この小さな基地を頼りに生きていく時間を愉しんでいる。
このミッションの中心は何と言っても「科学」にあって、世界中の科学者たちが地球から僕らをサポートしてくれる。地質学的な体系調査から微生物のDNA解析にいたる幅広い研究や、前例のないエンジニアリング・プロジェクト、あるいはアウトリーチ活動など、多くの意欲的なプロジェクトが僕らの仕事だ。Mars160ミッションの最たる存在意義は、この本当に多種多様なプログラムが、火星でも実現することが可能なのかを、リアルなフィールドのなかで試すをことにある。
【Science】
Mars160の科学探査には、実にさまざまな形で、多くの人たちがかかわっている。宇宙服を着て、目に見える形で実際にフィールドに出ている僕らはそのほんの一部にすぎず、研究の目的や手法を提案するチーム、装備を供給してくれるチーム、アドバイザーとして僕らをサポートしてくれるチームなどがいる。
この30日間で、僕たちフィールドクルーは165時間の船外活動を行った。地衣類のサンプリングから地形調査、地学的測量、基地の保守点検など、船外活動の目的もさまざまだ。前半の米ユタ州、そして2017年に予定している後半の北極圏デヴォン島。二つの場所で行うすべての探査は、宇宙生物学的側面から模擬火星環境を研究するプログラムと共同で実施される。北極圏の寒冷砂漠環境(FMARS)と、ユタの温帯砂漠環境(MDRS)、その二つの異なる環境で同じような微生物やその群生の比較調査を実施する。
僕たちは、温度差、極乾燥、強烈な紫外線など、地球上の極限環境下で生物がどのように適応し、そして生存しているのかに関心を持っている。その代表となる有機体が地衣類だ。地衣類は岩石の表面上に藻類や菌類と共生繁殖している生物で、まれに土壌や樹木で見つかることもある。
僕たちはまた、さまざまな場所で光合成有機物を探している。この有機物は緑色の細菌か藻類で、肉眼でやっと見えるくらいの大きさの繁殖群を透き通った石の内部や表面に作っていることが多い。現在の主要な探査のやり方はフィールドでの統計調査だ。サンプリングをし、さらなる解析を行うためには、基地の研究設備が整うのをもうしばらく待たなければならない。
他にもミッションの後半には、塩を好む原核生物である好塩菌の探査も行う予定だ。好塩菌はおそらく、この場所のさまざまな場所で採取が可能な石膏の結晶石のなかで見つかるはずだ。好塩菌は塩分を含む沈殿物が結晶化する際に、その内部に取り残されることが知られている。MDRSで見つかる石膏の結晶石は、数十億年前のものであることが分かっている。太古の好塩菌の化石が見つかるかもしれないし、FMARSのものはもっと古い菌かもしれない。もちろん塩の層の下に潜んでいる、いま生きている好塩菌を見つけることも忘れちゃいけない。
生物科学はあらゆる側面で、地形や地層、歴史、気候などの環境要素と密接な関連を持っている。僕たちは写真や映像、スケッチ、文章など、あらゆる手段をフルに使って記録を行っている。フィールドから持ち帰ったこれらのデータは、基地の中でさらなる解析が行われる。北極のフィールドは、この場所とはきっと多くのことが異なっているだろう。だからこそ、僕たちはここでさまざまな手法を試し、その特性を十分に理解しておかなければならないんだ。
採取された地衣類サンプルは今、SPOT TESTとよばれる、ある種の化学薬品との色反応による同定解析の過程にいる。その後に顕微鏡を使って胞子の特徴を観察する予定だ。いくつかの有機体サンプルは写真によって記録され、残りは統計調査を行っている。僕らは同様の調査を北極圏でも行う予定だ。
ここ火星には、研究室で使用する予定の、もっと高度な解析を行える機器がまだ到着していないため、サイエンスチームはそれを心待ちにしている。その期待は高い。高度な地質学的・生物学的実験機器は、きっと近い将来の火星生物探査に直結する、多くの結果を提供してくれるはずだからね!
【Engineering】
ここでは火星と同じく、すべての資源が限られている(空気だけは除いて)。モニタリングやメンテナスといった、エンジニアリングの側面は、僕らの日常が緊張感のあるサバイバルの様相を呈さないための、とても大切な鍵となる。たとえば僕らはすでに一度、水資源が枯渇するという事態を経験していて、それがまたわずかな注意を怠れば、再び起こりうることなんだと学んだ。トイレや掃除清掃、飲料水、調理に至るまで、僕らの水は一人当たり約30リットル以下に制限されている。だけど僕らは、水の使用量を減らすことを目的にしているわけではないんだ。もしも僕らが持ち込んだ「真空洗濯機」がなかったら、水の消費量は幾分か増えていただろうね。汚れた衣服に潜むバクテリアを、どうしたら水や洗剤を使わないでも取り除くことができるのだろう?だったら火星に無限にある、この真空に近い気圧環境を利用すればいい。そんなシンプルなアイディアから、この装置は生まれたんだ。
約半分のクルーにとっては、前回の最終選考ミッションから約2年間の月日が経っている。おもえば、その間に基地の様子はだいぶ変化した。この古くて物言わぬ家、HABは、これまで1000人以上のクルーたちを受け入れてきた。この地を訪れた皆にとって、HABはまるで家族のような存在だ。そして今は、少しばかりの新しいアップデートを加えて、また僕らを温かく包んでくれている。僕らがGreenHABとよんでいる温室は新しく作り替えられて、新たに太陽光発電パネルとサイエンスドームを加えて、HABはちょっとした火星研究所のようにも見える。もちろん天文観測台も健在で、すべての建物がトンネルで連結されている。基地の内部へと目を向ければ、新しく入れ替えらえた家具が居心地の良い雰囲気を作ってくれている。
それにね、宇宙服も新しくなったんだ。以前のものと比べてだいぶ重くはなったけれど、格段に頑丈になった。個々のクルーの体型に合わせて微調整が出来るようになったし、空気の吸入装置も改善されてヘルメットのレンズも曇りにくくなったんだ。
この新しい宇宙服に加えて、近々新たな船外活動支援ツールも登場する予定だ。このプロジェクトは、僕らの船外活動や科学探査をより良いものにしてくれるのはもちろん、このツールによって収集される様々なユーザーデータにも期待が寄せられている。最初の試験機はもう間も無くフィールドでテストされる。フィールドで探査を行う研究者たちにとって、欠かせないツールになる日も近いかもしれない。
【Outreach】
20世紀の大いなる探険史のそれとは違って、これから火星へと旅たつ火星飛行士たちは、地球へと無事に帰ってくるまでの期間、常に地球にいる支援チームによるサポートを受けながら活動するのが基本だ。低サイズの文章や画像に限られてはいるものの、インターネットを介した定時通信回線が、僕らと支えてくれる人たちとの間にある唯一の伝送手段だ。
ミッションの基礎となる情報を欠かさず伝え合うこと。常にクルーたちの無事を確認し合うこと。それらが通信の最優先事項であり、その情報は日々のレポートという形に集約されている。クルーたちからのこのレポートは、Mars160公式ページで誰でも見れるようになっているので是非見て頂きたく思います。それ以外にも、毎週 space.com に記事がアップされ、それぞれのクルーもまた母国のメディアや個人のSNSなどに情報をアップしているので、そちらも是非(でもクルーからの、家族や特別な人へ宛てたメッセージは公開されていませんので悪しからず)。何もかもが通信で繋がっている世界に慣れていたから、なかなか密に連絡を取ることができない今の状況をもどかしく感じる瞬間もある。支援チームとの定時交信を途切らせてはいけないプレッシャーを感じることもある。でもきっと僕らなら上手にやれるはずだ。
【Life】
ここで生きていく上で、一つだけ忘れちゃいけないルールがある。「Safety first!(安全第一!)」これはきっと火星でも同じだ。だからミッション開始時にはたくさんの訓練を行った。たとえばバギーの操縦訓練。初めて運転を経験するクルーもいたし、それに他のみんなも久しぶりだったしね。
さしづめ基地の中は、ガレージが半分(1階)潜水艦並みの居室が半分(2階)といったところかな。文明圏から離れて暮らしていく上で、日々の生活と切り離すことのできないさまざまなリスクに、僕らは常に目を光らせなければならない。そんな気の抜けない生活を送っているのにもかかわらず、個々のクルーたちへの問診の結果を見ると、健康や士気を落としている者はいない。僕たちを支えてくれているのは、毎日の食事や運動、余暇の時間だ。
すべての食材は、乾燥食材か缶詰だ。少しばかり余計な下ごしらえの時間が必要なこと以外は、普段の食材とそう変わりはしない。国籍の異なるクルーたちがいるおかげで、毎日違った国の料理が楽しめるんだ。これが僕たちの火星の食事だよ(写真)。火星風フレンチ、火星風オージー料理、火星風カナディアン、火星風ロシア料理、火星風インド料理、火星風和食料理、みんなはどの料理が食べてみたいかな?
体型や柔軟性を維持するために、ほぼ毎日のペースでヨガを実践しているクルーもいるよ。他にもお手製の懸垂棒や昇降綱を基地の梁に取り付けたりして、トレーニングしている。もしかしたらミッションが終了する頃には、最初の頃より身体能力が上がっているかもしれないね。
もう一つのお楽しみは、週に一度の映画と連続ドラマ鑑賞だ。だいたい週末の夜がお決まりの日。日曜日は休暇日となっているので、クルーそれぞれが自由に時間を過ごしている。もちろん完全に休めるわけじゃないんだけれど、仕事するにしろ休むにしろ、自分で好きに時間を使えること自体が嬉しいことなんだ。
火星の毎日は本当に忙しい。火星シミュレーションという制約がなかったとしても、僕らの従事している仕事はやりがいのある試みだ。過去にも例のないこんな厳しい環境のなかで、Mars160のクルーたちはサイエンスやエンジニアリング、アウトリーチのプログラムに追われている。でも僕らはここにいるんだ。いつか火星に人類を送り届けることが、それだけの価値があることだと信じているから。
ひとはストレスを感じたとしても、小さな喜びに希望を見出すことができる。美しい日の出、コーヒーの香り、お気に入りの音楽、そして大切なひとの写真。このちょっとしたことの数々が、僕らをここではない何処かへと誘ってくれる。そして何よりも、ここでの困難を乗り越えるためには、仲間たちと分かち合う感情やそこから生まれる友情が大切なんだ。火星に生きることは、僕たちが人間なんだってことを、気付かせてくれることなんだ。