2016年12月19日
フェーズ1 最終報告書
ジョン・クラーク

Mars160の前半の実験が終わるが、ここで達成したことを振り返り、そして(北極圏の)FMARSで達成すべき期待などを語ってみたい。個人的な視点で振り返ると、ミッションは大成功だ。我々は地質学と地形学の分野で重要な新しいデータを得ることができた。これらのデータは一般に公開されるべき内容である。同様に、我々はミッションのオペレーション(管制)という意味でも多くのデータを得ることができた。これらのデータは模擬実験の能力と可能性をより深く理解する上で、大いに役立つだろう。二つの模擬基地で実験を行う目的の背景には、二重ミッションの概念の核心部分が存在する。それは二つの基地の類似性と相違性、設定内容の違い、作業内容に違いといった点にある。

両方の基地はデザイン的には似ているが、詳細部分はかなり異なっている。まず、建設された場所は両方とも乾燥しており、環境は火星に似ている。両ミッションで焦点を当てている内容としては、実際の火星ミッションで遭遇するであろう制約環境の中での、管制(オペレーション)、探査実験、そしてフィールドサイエンスの実施である。実験作業には、模擬宇宙服の着用、機能が制限された施設、エネルギー、非同期通信、中核施設のハブステーションの構造、ほぼ同一のクルーメンバーとリーダーシップ、大規模で数か月に及ぶ長期間で多分野のフィールドサイエンス研究等が含まれる。

二つの模擬基地が異なる対照的な環境に建つことから、様々な相違点が見らる。MDRSはほぼ一年中暑い砂漠地帯にあり、FMARSは極寒の乾燥地帯にある。ただし、MDRSの環境は1年のうち少なくとも160日間は気温が氷点下になる。MDRSの地質はジュラ紀と非海生白亜紀から、海生砕屑(せつ)性までの地層で構成されている。FMARSでは、オルドビス紀から海生シルリア紀の炭酸塩で構成されている。FMARSは火星の表面のように永久凍土で覆われているが、MDRSでは永久凍土は存在しない。

これ以外に2グループのクルーに関する人間性という点でも相違点が見られる。FMARSの施設はMDRSと比べて、より根本的で、より孤立無援で、より限られて環境であってほしい。そしてミッションサポートとの相互関係をずっと少なくしたい。このことで、クルーにはより厳しい試練となるはずである。このことで、いかなる問題が起きても、個人にとって、クルーにとって、そしてミッションにとってより厳しい結果になる可能性が高まるだろう。しかし、ミッションの第一フェーズの期間中、クルーは深い思いやりと強い結束力のもとで共にチームとして仕事をこなせる能力を示した。多少の意見の相違はあったが。でもこれらは、北極圏というより厳しい環境でミッションを成功裏に行うための強味になるに違いない。

北極での実験を楽しみにしながら、一人ではなく二人の経験豊かな地質学者が居るために、地質学分野でのより強化された研究がなされることを期待している。これには、特定の研究分野と、生物学目的の研究の支援で行われる研究も期待できる。

 

2016年12月19日
クロードミシェル・ラロシェ
MARS160第一フェースを終えて最後の言葉

私にとって、このミッションは大変重要であった。このミッションの意味が私にとって何であるのかを自問自答して答えを見付けようとしているときは、すこし優柔不断であった。このミッションは私にとって非常に貴重なものである。同時に終わりに近づいていることに嬉しく思う。同時に寂しい気持である。

このミッションでの私の役割は、MDRS全体システムの維持管理とメンテナンス、そして内側ではSmart Potプロジェクトの推進である。Smart Potプロジェクトは私が実行しなければならなかった作業でもっとも満足ができて苦労が報われたプロジェクトだった。満足できた理由として、植物が毎日成長するのを見ることで仕事をしている実感を感じ取ることができたし、関わっていることに価値を見出すことができた。

このプロジェクトは我々にとって、技術を評価実証し、実際に機能するかどうかを確認するこであった。しかし我々が得たものは植物そのもの、実った果実、そして見たものは我々の手から成長した植物の姿、そしてミッション最後に、食べ物としてお皿の中で植物は終了した。でも失望した。なぜなら、植物を成長させることが難しかったし、中には枯れたものもあった。

私の日々の生活は休み無しの毎日であった。各自の快適ゾーンを見付けたが、簡単に見つけられるものではなかった。でも、価値あるものを見付けるのは常に困難が伴う。クルーと一緒に仕事をすることがどんなに大変であっても、クルー全員が常に一体となっていた。こんな体験は人生で初めてのことだ。

私は北極での実験には参加しないが、他のクルーの実験が成功することを心から祈っている。そして彼らと遠く離れて直接的ではないにしても彼らを可能な限りサポートしたい。丁度前半のミッションで私がやろうとしたように。

 

2016年12月19日
アヌシュリー・スリバスタヴァ

ユタ州砂漠地帯のMDRSにおけるMars160ミッションは終了に向かっています。ここでは、ただ火星の模擬実験を行ったということだけではなく、これまでの人生で体験したことのない全く異なる生活をしたことも注目すべきです。居住施設と我々一人一人が強く結びついたのです。私たちは家族になりました。すべての家族がそうであるように、ストレスもあるが楽しい時間も沢山あった。でも、この孤立した火星の家の中で調和を手に入れるために、与えられた状況を無条件で受け入れることを学んだと思う。忘れないために感じたことをメモするつもりであったけど、全部忘れてしまったかもしれない。

長期間の火星模擬実験に参加し、孤立した環境で暮らすことは容易ではない。時には単調な生活に嫌気を指すかもしれないし、自分の世界に閉じこもりたいと感じるかもしれない。でも、心の中に隠し続けていた「愛情」という気持ちを、作業をすることで思い出させる時がある。そしてその気持ちを追いかけ、実現するためにすべての境界線を越えることができる。そして、これまで誰も経験したことのないミッションのために働いているという実感を思い出させてくれる。長期火星模擬実験における最大の挑戦課題は、展望を失わないことだと思う。MDRSでもっとも素晴らしかったことは、美しく生き、美しく成長したことだ思う。言うのは簡単だし理想主義的に思われるかもしれないけど、私たちはそれを成し遂げたことは事実。

私はMDRSにクルー172の生物学者及び副司令官として戻ってくる。なので、私は、さらに15日間、MDRSに留まり、Mars160の個人的な科学目標を完成させるために、MDRSで実験を続ける予定である。Mars160ミッションはまだ終わっていない。

さて、今は、このMars160ミッションの前半の最頂点にいるが、法一つ別の段階の始まり、希望、そして挑戦となる北極圏の実験が待っている。北極圏でもミッションは、フィールドサイエンス、安全性、そして居住性という意味でもっともっと挑戦的である。最初のフェーズは、クルーの効率性、ミッション管制の効率性等のテストでもあった。これは北極という真の超極限環境の中で生活するための準備であり、生活の困難さへの心構えでもあった。北極のミッションを開始したときに、MDRSで学習したことを応用するために、何が機能して何が機能しないのかを学習する予定であった。MDRSに到着したときに、そのことが私にとってのミッションであったと認識したことをいまも覚えている。これは私にとって出会いであり、私がしてきた仕事は、ここでの80日間を通して私を前進させてくれた。そしてさらなる80日間もそうし続けてくれると信じている。

 

2016年12月19日
アナリー・ビーティ

この三か月間の終わりに際して、我々は砂漠の探検家になっている。この三か月は最も素晴らしいものであった。今は、互いをよく知り、Mars160ミッションの共通の目的によってクルーとして本当に強い絆で結ばれている。我々はMars160ミッションが無事終了することを望んでいるし、そうできると確信している。クルー全員がチームとして十二分に作業を達成したと全員が認識している。我々はいろいろな体験、日々の作業計画、フィールドサイエンスも共同で一緒に行い、ハブ関連で実行するべきどんな作業も一緒に協力して行なった。ただ、時には安易な方法で、ただぶらぶらすることもある。宇宙服を着用するときでさえも共同で行い、お互いに理解を共有した。トレーニングとフィールド探査での役割分担を考えることでもクルーの関係を強める。異なる種類の作業を行うことで互いに助け合い、我々に忍耐力を必要とする模擬実験の肉体的適応力を通じて相互にサポートしあう。

ハブの内部でも同じように助け合った。ハブが順調に稼働するために最善をつし、自律的に行う作業と、義務として行う作業との間に継続的で健全なバランスがある。互いに敬意を持ち、その敬意を守るために一生懸命働いた。共に働くことに対し、替わりになれる者は居ない。ミッションをどのように前進させるかについて同じ言葉で話す方法を考え学ぶ。司令官のアレックスはグループの中で多様な状況を管理する仕事を素晴らしくこなした。彼は情熱的であり、十分なスタミナが備わっている。常に、クルー同士の利害関係と仕事との間の問題を調整してくれた。

科学的な視点で言えば、私の個人的な研究課題は、人類が火星に到着した際に宇宙服を着用してフィールドサイエンスの一環として絵を描く(スケッチをする)ことの意味がなんであるかを検証することである。模擬実験の限界の中で、私はフィールドサイエンスに集中した。そして、目標は、作業に必要な一連の道具をデザインし、地質学者がフィールドで観察し知識を理解するためにスケッチや記録を書くが、その道具を使用してスケッチする練習方法と使用手順を考えることである。

EVAのフィールドサイエンスの最中にフィールドのスケッチを自身でテストした結果、宇宙服を着用した場合と、宇宙服無しの場合では、フィールドでのスケッチ作業には、さほど違いは感じられなかった。

正しい材料、正しい道具、そして正しい手順に従えば、宇宙地質学者は、大きく重たい宇宙服を着用していても、フィールドスケッチ手段を使用して、観察場所の観察と評価を行うことが可能だろう。同様に、地球でもそうだったように、予想外の状況に対して即応的に対応することも可能であろう。そうでない理由は見当たらない。これの意味するところを理解することが、来年の北極圏での実験で私が注目している点である。

 

2016年12月19日
アナスタシア・ステパノワ

皆さんにとって80日間は何でしょう。宇宙ミッションにとって長いですか? それとも短か過ぎますか? 通常、宇宙飛行士は国際宇宙ステ―ションに3か月滞在します。つまり、我々はこの時間テストにはすでに合格していることにる。私たちは地球からはるか離れて80日間を普通に過ごすことができた。実際、Mars160ミッションの前半で、多過ぎるぐらいのテストに合格してきた。一部のテストは予想外だったし、紛らわしいのもあり、挑戦的でもあり、あるいは楽しいテストもあった。最初に学んだことは、物事は、そうあるべきことはそうなったし、期待とは違っていたこともあった。それらの結果を前向きにとらえるか後ろ向きにとらえるのかはあなた次第だが、事実をただ受け入れ、対処することができれば、あなたはすでにテストに合格したことになる。
次に学習した二つ目のことは、人間の順応能力は無限であり、活動し生活し生き残り続けることが可能である。MDRSの基地で我々は常に限界に直面したが、緊張した圧迫される代わりに地球の習慣から解放され、新しい生き延びる方法を試みた。三つの学習したことは、新しい技能と知識は決して十分で有ることはない、ということだ。個人的には「より多く学ぶことは、より多くの自由を手に入れる」、と言いたい。知識は強力なツールであり、いかなる重大な局面も克服することができる。問題に対処でき、助けになり、そして創造することもできる。私的にMars160の経験が形づけられていく知識のうえで中心人物が三人いる。

毎日の生活は、料理から、石膏のサンプルを溶解すること、そして微生物が成長するまで待つこと等、幅広い活動で溢れていた。多忙なスケジュールによって、クルー全員が健全な心理的状態を維持することができたし、良い状態の頭脳を維持すこともできた。恐らく、仕事の量と、その仕事同士を繋ぐ新しい橋が沢山あったことで、予想した以上に地球を恋しくなることはなかった。一度なりとも悲しかったり孤独を感じることもなかった。ギブアップするこもなかったし逃げたいと感じることも一度もなかった。このユニークなミッションで活動するために私の人生を変えることを残念に思うことも一度たりともなかった。

終わりの日が来た。「お帰りなさい」と、シャノンが無線機で言葉をかけてくれた。シャノンはMDRSの研究責任者(PI)であり、ディレクターでもある。数秒間だが私の時間が止まり、突然の新しい世界から目を背けた。或いは、別の言い方をすれば、古い世界、でも私にとっては新しい世界ということだ。私は外界の世界から隔離された静寂と平穏の世界、砂漠の絶景の眺め、美しくも寒い夜の世界、ウィットのある冗談、友情とクルーの絆、毎日の学習、地球的な火星での生活、これらを懐かしく思うだろう。これで終わりなの? いいえ、違う。これはただの始まりに過ぎない。

 

2016年12月19日
アレクサンドル・マンジョ

自分にとって、このミッションは少し前にすでに始まっていた。実際には1年半前だ。その時点では、自分の役割はハッキリしていなかった。しかし、時が過ぎ、司令官に任命されるまで、私の期待する役割はほどんど変わらなかった。長い間、この地位に就くことを望んでいたというフィーリングは奇妙な感じである。そして実際に任命されて心が踊った。そして、夢を見ている間に、その責任の余りの大きさに心配することなく、ただ明るい面だけを見ていた。しかし間もなく、その責任の大きさを理解し、ただただ、すべてがうまくいくことをお願いするのみである。

もし、プロジェクトが無い状態でここに来たのなら、私のクルーの中での存在価値があるものだとは決して思わなかっただろう。司令官の役割を私が引き受けることを期待され、さらに、個人的なプロジェクトの実行も負わされると考えていた。私のプロジェクトは沢山ある。その中で一つだけを選んだ。これは意欲的な技術で、このミッションが始まる前の六か月前から取り組んでいた。実際は4件の異なる技術プロジェクトを始めていた。しかし、ここでの私の主な責務は自分自身の個人的なプロジェクトを行うことではない。私の主な責務は、全員が同じ目標に向かって取り組めるように確認することだ。簡単に聞こえるかもしれないが、実際はかなり難しい。常に細心の注意を払い、献身的な考えが求められる。7人のクルーに関して、大人数のクルーの無気力を計算に入れることはできないので、すべての詳細について注意深くなければならない。これは要求が厳しかったからだ。特に自分の宇宙服インターフェースの設計に6か月を費やし、予定していた機能が全く機能しなかった。しかし、自分のプロジェクトに集中するよりも、クルーの人間関係や体制に集中せざるを得なかった。自分のプロジェクトがあるのに、個人的時間を犠牲にするのは難しいし、それが機能するかもしれないというときに、適切な注意を払うこともできない。しかし、ミッションの終わりに、ミッションディレクターのシャノン・ルパートと議論をしたときに、私は自分のプロジェクトを持ち込むべきでなかったと意見を述べた。なぜなら、コマンダー(司令官)の仕事はフルタイムの仕事だから。そんなことから、北極のミッションでは自分のプロジェクト無しにミッションに戻るつもりはない。しかし、確認しなければならないことは、コマンダーの仕事にあまりに多くの時間を要求されず、自分の責任分担部分に完全に焦点を当てることができるなら、参加する。

私の機械工学専門家として、そしてハイブリッドロケット科学者として、宇宙服のユーザーインターフェース開発を目指すプロジェクトを開始している。これは特に挑戦的である。6か月というタイムラインで機能する何かを設計するために電子工学とソフトウェア開発に必要なすべてを学習することは、落とし穴に落ちるかもしれないのに、簡単という言葉からほど遠い状況である。しかし、同時に予算も管理する必要があったし、すべての部品や資材の調達の管理も必要だった。つまり明らかなのは、開発プロセスの中で、ミッションの期間中に、ハードウェアとソフトウェア開発を試みるためには、本当の厳しい時間配分の中で厳しい決断を下さなければならなかった。このような状況になるとは予想してなかった。これは私があまりにも楽観的であり過ぎたからかもしれない。その証拠として、インターフェースを4セット製作するのに十分な材料を持ち込んでいたのである。見通しの甘さもさることながら、私は悪いほうに向けて準備をしていたということになる。ミッションの終わりまでに何も成果が得られなかったということになるかもしれないと。でもうまくいったこともあった。小さいけれど十分な勝利も手にした。だから動機づけ(モチベーション)も生き続けているし、ほとんど時間がなかったにもかかわらず目標を追い求めることもできた。最後のEVAではインターフェースの究極のテストを実行することに集中できた。このEVAでは1時間遅刻したことを思い出した。遅刻の理由は、すべてのチェックリストすべてが緑に点灯しなかったからだ。私はスケジュールを混乱させたという事実に気持ちがはちきれそうだった。けれども、同時に思い出したことは、ロケットを打ち上げるときに、もし誰かが中止と言えばロケットは打ちあがらないはずだ。これが最良の決断のはずだ。このEVAの間、すべてが予想通りに作動したことを発表できて大変うれしい。テストの間のナビゲーションデータ、宇宙服内外の温度と湿度のデータ、赤外線から紫外線までの光の測定、電池の電圧、そして私の心臓の鼓動データさえも取得できた。私のSSUItプロジェクト全体を読めば理解してもらえると思うが、SPIラインはEVAの間、完全に稼働していた。私が開発したソフトウェア第二版の1万1千行に及ぶコードを書き直し、再検討を行うことにより改良することができたし、その性能を少しだけ前進させることができた。ということで、北極では、今回のミッションでいろいろ学習したおかげで、より進歩したハードウェアアーキテクチャーを持ち込めるだろうし、インターフェースも準備できるだろう。